ザンビア

2019年04月22日

 
キガリ発、ダルエスサラーム行はもちろん、ボンバルディア400ニュージェネレーションだ。
 
この機体は、後ろの方が振動と騒音が少なく快適で、よって間違ってもプロペラの近くに席(7番付近)をとってはいけない。
 
ところで、ルワンダエアーで感心することは、CAの気配りだ。
 
水をこぼしても謝らず、乗客を客とも思わないアフリカのキャリアとは、明らかに異なる。
現在の路線はまだ少なめであるが、今後もさらに増やしていただきたいものである
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40分遅れて離陸した機体からは、キガリの街の光りが小さくなっていくのが見えた。
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ところで、行はダルエスサラームからキガリまで2時間だが、帰りは3時間以上かかる。これは、キリマンジャロ国際空港経由だからである。
 
キリマンジャロ国際空港では10名ほど降り、10名ほど搭乗し、70%ほどの搭乗率は変わることはなかった。
 
キリマンジャロからダルエスサラームまでは1時間で、この間に素晴らしい食べ物が提供された。
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ポテトチップスである。
 
初めて、ルワンダで生産されたとあり、味は日本のポテトチップスと変わりない
 
お腹の調子が悪いのを忘れて食べていると、眼下には次第に街の光りが増えだした。
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ダルエスサラーム市内上空を旋回し、20分遅れの早朝420分に空港に着陸した。
 
機体から降りると、湿気を含んだ空気が躰にまとわりつき、ダルエスサラームに戻ってきたことを実感した。
 
今回は、ターミナルビルまで近いためか、バスではなく、徒歩での移動となった。
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そして、イミグレーションでは、なぜか宿泊施設を訊かれたので「自宅」と答えた。
 
建物から出て、駐車場から見るターミナルビルは、いつものライトアップがあり、まるで私の帰還を歓迎してくれているかのようであった。
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ザンビア行 (終り)


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darmark2 at 03:10コメント(0)

2019年04月21日

 
免税店エリアは、ガラス窓から滑走路を眺められるベンチがあり、中央にお土産などのお店、その奥にはカフェがあった。
 
明るいエリアで、そこから見える駐機場には、エチオピア航空やDHLの機体が駐機していた。
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それにしても、人が少なく静かな免税店エリアである。
 
出発まで十分時間があるので、お土産としてマグネットを購入し、その後、カフェで100円の冷えた水を飲みながらくつろいでいた。
 
突然、出発1時間前にもかかわらず、キガリ行のルワンダエアーの最終搭乗案内のアナウンスが流れた。
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目の前に座っていたオジサンも慌てて席をたったので、彼も私と同じ便であろう。
 
入口上部に“出発口”書かれた幅の狭いエスカレーターで一つ下の階に降り、薄暗くやはり狭い通路を先に進み、左に折れると、カウンターらしきものが先に見えた。
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どうやら、ここが搭乗口のようだが、狭く、薄暗く、しかも多数の蚊までが飛んでおり、とても一国の首都の空港とは思えない。
 
ルサカの夜は暗かったが、それを空港でも体現しているかのようなエリアである。
 
ベンチのような席に座り、5分程経つと、カウンターに呼ばれ、まずはで搭乗券の半分を千切りとられた。
 
そして、再びベンチに戻り陰鬱な雰囲気のでじっとしていると、気が滅入ってきたころに搭乗案内が始まった。
 
もちろん、機体までは徒歩だ。
 
カウンターの横を通り抜け真っ直ぐ進むと、目の前にボーイング737-800が駐機していた。
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ルサカ発キガリ行の便は、出発がヨハネスブルグであるので、機内には座席の半分ほどに乗客がいた。
このことが、最終搭乗案内が、通常の出発40分前はなく、1時間前になった理由であろうか。
 
ボーイング737―800は、11番と12番の席の足元が広く快適だが、緊急時の場合は避難を助けることを求められていた。
 
ちなみに10番の席は緊急時の脱出のために、リクライニングできない。
 
予定より5分早く、ルサカを出発した。
 
僅か、2時間5分の旅だがお食事が提供された。しかし、私はお腹を調子がまだよくないので、何も食べなかった。
 
お食事が終わるとイヤホンが配られ、照明が落とされた。その後、天井にモニターが現れ、映画が流された。
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キガリでのトランジットは、チケットによると1時間50分程だが、ルサカでの出発時間が早くなっており、2時間20分程あり、余裕である。
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改めて空港を見ると、セキュリティーチェックは制服を着た軍人が行っており、それ以外にも兵隊さんを見かけ、通常の空港よりも軍関係者が多いように感じた。
 
また、搭乗口前にあるモニターも、アフリカにしては珍しく正常に動作しており、更に搭乗までの時間が示されるなど、先進国並みのサービスであった。
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搭乗予定時間になったが、ゲートが開かない
 
周囲をよく見ると、搭乗したはずのドバイ行の乗客が戻ってきており、また、先に出発する予定のモンバサ行が、まだ出ておらず、全体的に遅れているようであった。
 
そのこともあって、搭乗予定時刻よりも40分遅れてダルエスサラーム行の便の搭乗案内が始まった
 
つづく


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darmark2 at 02:36コメント(0)

2019年04月20日

 
ザンビアは雨季が終わり、乾季に突入したが、到着当時の夕方に大雨が降った。
 
友人によれば、これは非常に珍しいとのこと。
 
それでも、乾燥し爽やかで、朝、陽が昇る頃に、お部屋の窓を開け、息を噴き出すと白くなった。ダルエスサラームでは体験できないことである。
 
渋滞も発生するが、ダルエスサラーム程ではなく、朝夕の渋滞を除けば、時間通りに目的地へ着くことができる。
 
 
ザンビア滞在はあっという間に過ぎ、ダルエスサラームに戻ることとなった。
 
ホテルから空港までの道はよいはずであるが、なぜか途中で渋滞が発生していた。運転手は金曜日の帰宅時間帯のためと説明していたが、どうも違うような気がした。
 
よく観察すると、対向車線でも遠くで渋滞が発生しており、しばらくするとその原因が判明した。
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道路が陥没し、水があふれ出ていた。どうやら、水道管が破裂し、車の円滑な通行を妨げていた。
 
水が広がったでこぼこの道路を慎重に進み渡りきると、そこからの車の流れはスムーズであった。
 
更に数十分程進むと、目の前に空港の管制塔が現れた。空港に近づくと左手に工事現場で使われる仮囲いがあり、その先では新空港が建設中であった。
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仮囲いに書かれていたものは・・・・
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おー まい ちゃいな!
 
中国の建設会社が空港を建設していた。
 
 
セキュリティーチェックを受けることなしに、現ターミナルビルに入ると、天井が高く開放感で溢れており、「ザンビアやるな!」と感じた。
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また、入口近くになぜか巨大な岩があり、古代の人のペイントかと思ったが、その考えは間違っていることが、説明書きからすぐに分かった。
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しかし、よく説明書きを読むと、銅に関することだが、採掘の歴史についても述べられており、古代であることの想像は、あながち間違っていなかった。
 
ザンビアは、北ローデシアと呼ばれていた頃に銅が産出し、そのおかげで開発が進んだ経緯がある。よって、このオブジェはその時の象徴でもあろう。
 
次に、ルワンダエアーのチェックインカウンタへ行くと、すでに4人並んでおり、そのうち3人までが、荷物の重量オーバーであった
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ここでも、イエローカードの提示を求められた。どうやら、キガリ行はトランジットでもイエローカードは必要なようである。
 
また、タンザニアのビザを訊ねられたので、タンザニアのレジデンスであることを説明した。
 
次にイミグレーションへ向かうと、手続きをしている人はいなく、寂しさが漂っており、その中で何も訊かれることなく、パスポートに出国のスタンプが捺された。
 
そして、免税店エリアへと進むのだが、イミグレーションでの寂しさは、この先にある前兆でしかなく、衝撃的なものを見ることとなるのです。
 
つづく


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darmark2 at 02:35コメント(0)

2019年04月19日

 
翌日、食中毒症状が無かったので、朝食をとったが、どうやらまだ消化することができない胃の中に、食べものを入れたようで、胃の中でそれらが腐り始め、腐った卵のゲップと下痢が始まった
 
結局この日は、前日の暴食とこの日の朝食のため、更に、体調が悪化し、一日中、絶食状態となり、意図せずして、ザンビアで一人ラマダンを行ってしまった
 
そういえば、タンザニアでは、この時期はラマダンで、国民の多くが日中はお食事をしていないのであろう。
 
自発的にラマダンをした翌日、体長が少し良くなったので、朝食は軽めのサンドウィッチのみとし、昼食は友人と一緒にとることとした。
 
昼食は、病み上がりのため、慣れたものと思い中華とした。
 
向かったレストランは、ホテルから徒歩20分のところにあるDong Fangレストラン。
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正面玄関の円形のファサードに圧倒され、店内に入ると更に圧倒された。
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それは、店内に滝があるからだ。
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壁一面に水が流れ、更にその隣には水が流れる井戸までもがあった。
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また、店内は天井が高く、テーブルや椅子に明るい色のカバーが描けられ、高級感が漂っていた。
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ここのお客さんも、ステーキハウスと同様に身なりがしっかりしており、庶民が、毎日、通えるようなレストランではないのであろう。
 
ところで、注文した料理はこちら。
 
ただし、食欲はあったが、まだ、お腹がごろごろなっているので、食べ過ぎないように注意した。
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まったく、中華は量と種類が多く、病み上がりの人にとってはパーフェクトな選択で、危険である。
(目の前に美味しいものを並べられて、食欲に打ち勝つのが大変であった。)
 
しかし、食べる量を制限したにも関わらず、お食事後、2回もトイレとお部屋を往復することとなってしまった。
(お腹が完全によくなっていなかった。。。)
 
つづく


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darmark2 at 02:46コメント(0)

2019年04月18日

 
インターコンチネンタルホテルで友人と落ち合い、昼食を一緒にとることとした。
 
友人お薦めのレストランが近くにあり、歩いて行くこととなった。
 
インターコンチネンタルホテルの前のハイルセラッシーロードを15分程歩くと、広々とした駐車場の中に、何とも形容しがたい建物があった。
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そこが、目指しているレストランで、“マリーン・レストラン”である。
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このレストランのお勧めはステーキとのこと。
よって、ペッパーステーキを注文した。
 
しかし、この時に、私はあることにまだ気がついていないのです。
 
店内は2部屋あり、客席が相当数あるにも関わらず、空いている席は23しかなく、お食事をしている人々は、身なりがしっかりしていた。
 
ザンビアでも中間層や富裕層が増えてきているのかもしれない、
 
メニューに書かれた料理のお値段は、現地の感覚では、相当高いと思われるが、ダルエスサラームで同じものを頼むと、2倍から3倍はするであろう。
 
また、サラダバーがあり、このお店では安心して生野菜が食べられるとのことであった。
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まずは、お水で乾杯し(私の体は、アルコールを受けつけないのです)、互いの近況を報告しながらサラダを食べていると、リクエストしたミディアムに焼かれたお肉が準備された。
(見た目からは、ソースで焼き具合はわからないが)
 
1,300円のお肉は厚くジューシーで、これほどの質の高いステーキは、南アフリカのステーキハウス“トランプ”に匹敵するのであろう。
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さらに、お肉を見て、「オーマイブッダ」と叫んでしまった。
 
量が多い上に、ソースがたっぷりとかけられていた。
 
それでも、美味しいので少し残しただけで、ほとんど食べてしまった。ついでに言うと、付け合せのご飯も、すべて食べてしまった。
 
しかし、このことが悲劇を招くのです。
 
1時間前にキガリからルサカの機内でお食事をしており、事実上これが昼食となる。
 
と言うことは、食べたお肉は、私の小さな胃では量が多いため、消化されず、数時間後には胃の中で腐り、食中毒となる。
 
事実、お食事23時間後、胃の中からこみ上げるものがあり、そのうち、卵が腐ったゲップが出始め、結局、この日の夕食はとることができなかった。
 
つづく


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darmark2 at 02:36コメント(0)
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