タンザニア:ンゴロンゴロ等
2017年05月21日
2017年05月20日
ザンジバルからダルエスサラームまではわずか20、30分程である。
離陸後、直に富裕層が住むムササニ半島が窓の外に現れた。
前回のフライトとは異なりムササニア半島の海側を進み、ダルエスサラームをかすめ、なぜか空港とは異なる方向へ進んだ。
機長からアナウンスが入り、空港付近が悪天候のため着陸ができないとのこと。
よって、天候が回復するまで、ダルエスサラームから10マイル離れた場所で待機することとなった。
10マイル離れた場所で何度も旋回し、40分程経過したが、着陸する様子は全くない。
機体が小型のため着陸が困難なのであろうか等と考えていると機長から「とりあえず着陸を試みるが、もしできない場合は、ザンジバルへ引き返す」とアナウンスがあった
それを聞いた乗客からは「ザンジバル」との声が上がった。
機体の方向を陸側に向けたことから、着陸する為の航路に入ったようだ。
空港に近づくにつれて雲が増え、ついには高度を下げ、その雲に突入した。
機体が揺れ始め、雲を抜けると、激しい雨が窓ガラスに音をたてて当たった。
機体をさらに下げ、滑走路が肉眼で見えるまでになり、‘タッチ・アンド・ゴー’をしませんようにと心の中で祈った。
そして、タイヤが滑走路に接触し、滑走路を走っている振動が伝わると、いつもよりは大きな拍手が機内に沸き起こった。
ターミナルから離れた場所に駐機後、雨に濡れながらタラップを降り、空港ターミナル行のバスに乗り込んだ。
1時間遅れで到着したが、まだ午後5時少し前で外は明るく、自宅までの交通手段の不安は、まったく感じなかった。
エアコンが効いて、自動でドアが開閉できる快適なタクシーを選び、空港から自宅まで2,100円を1,600円に値切り、休日の渋滞が発生していない道路を市内中心部へ疾走した。
今回の旅は、行きと帰りフライトがそれぞれ1時間遅れ、更にアルーシャ空港ではガイド氏と会うのに手間取ったが、それ以外はすべてうまくいった。
タンザニアの自然は雄大かつ圧倒的で、それらの場所に身を置くと体から毒素が抜けるのが実感できた。
日本からだと、航空運賃及びサファリを含めると相当な金額となりますが、日本とは異なる大自然とタンザニア特融のサービスを堪能でき、その金額に見合ったものは、十分あると思います。
(完)
2017年05月19日
プレッションエアーが着陸した。
今回も行きと同じATR72-500であった。
待合場所出入口にいる係員に、搭乗券の確認を受けた後、徒歩で飛行機へ向かった。
今回の席は羽の近くだが、羽が胴体の上についているので、窓の外から景色を眺めることができる。
機内はほぼ満席であり、隣に座った乗客は、偶然、待合場所で隣の赤い帽子をかぶっていた男性であった。
彼はスリランカ系英国籍とのことで、家族3人でセレンゲッティ及びンゴロンゴロを旅行し終え、リタイア先として選んだザンジバル島のストーンタウンへ戻る途中とのこと。
知性を感じさせるその男性の、スリランカに住んでいた時の場所は、インド洋に並行して走っているゴールロードが縦断しており、高級ホテルやお店が立ち並ぶ華やかなエリア、コロンボ3とのこと。
私への気遣いや話す内容からは、現役時代は、まるで英国の大学で教鞭をとっていたかのような印象を受けた。
彼はムスリムのようであり、更にコロンボ3にはムスリムが多く住むエリアがあることから、もしかしたら、スリランカで内戦があった時に、難民としてイギリスに亡命した家族かもしれない。
一方、費用がかかるサファリができることから、少なくともそれなりの資産があることは間違いないようだ。
前のシートのポケットには機内誌が2冊も入っており、その機内誌によるとプレッションエアーは、ウガンダやケニヤにはすでに就航しており、更にコロモ諸島にも就航予定であることが記載されていた。
定刻よりも10分遅れで、アルーシャ空港を後にした。
高度をぐんぐんあげ、雲の上まで上昇した。
機体が安定すると、行のフライトと同じおつまみと飲み物が配給された。
離陸後、1時間程で陸と海の境界が現れた。
島々はエメラルドグリーンの輪に囲まれ、透明度が高いようだ。
しばらくすると、海上から、小さな家が密集しているストーンタウン市内上空となった。
ザンジバルでは、隣に座った家族も含め、半数弱の人が降りたが、搭乗する人は少なめだったので、ネット上で大騒ぎとなったユナイテッド航空の国内線とは異なり、ゆとりが感じられる機内となった。
予定より5分遅れで、ダルエスサラームに向かって、機体は宙を舞った。
つづく
2017年05月18日
アルーシャ空港は、出発口と到着口が離れている。と言っても、徒歩数分だが。
出発口。
出発口の入口には守衛がいたので少し緊張したが、ノーチェックで建物内に入ることができた。
せいぜいATR72程度しか離着陸できない短い滑走路の小さな空港だが、お土産屋さんやレストランは意外と充実していた。
お土産屋さんが、日曜にも関わらず営業をしていた。(当然かな・・・)
待合場所はチェックインカウンターに近い場所と、搭乗ゲートに近いほうの2か所あるが、こちらはチェックインカウンターに近い場所。
狭い室内には、4,5社の航空会社のチェックインカウンターがひしめき合っていた。
写真は、利用したプレッションエアーのチェックインカウンター。
ホテルから空港まで3時間の予定が2時間強と、早く着いてしまったので、レストランでお茶をすることとした。
レストランとカフェがあり、席数の多い、エアポートレストランをチョイス。
出発便がなく、昼食時にはまだ早いためか、お客さんは一人もいない。
直射日光が当たらない席に座ると、愛想がよい中年のウエイター(あるいはマネージャ)が注文を取りに来たのでエスプレッソ200円を注文した。(ドルでも支払い可)
砂糖を少し入れ飲んだエスプレッソは、ピリピリとした出汁が効いた味がした。
その理由はこれ。
ハエがエスプレッソの中を泳いでいた。ただし、泳いでいたことから推測すると、まだ、出汁はあまり出ていなかったのであろう。
ハエ入りのエスプレッソを飲み終えそのエキスで元気になり、混み合っているチェックインを行う建物の中に入り、エキスで元気になったその体で人をかき分け、要領よく列の前の方に並んだ。
複数の大きなスーツケースがある他の乗客とは異なり、手提げかばん一つのみなので、手続きはすぐに終わりそうであった。
実際、係員から機内持ち込み手荷物の中に危険物が無いかしつこく訊かれ、少し時間がかかったものの、他の乗客と比べて短時間でチェックインを終わらせた。
しばらくすると、搭乗案内のアナウンスがあったので、セキュリティチェックへいくとすでに列ができていた。
バックパックを背負い、疲れが表情に現れている二十歳代の男女4人の白人グループを、仕切っているリーダーらしき女性の様子を眺めつつ、なかなか進まない列で我慢強く待っていると、ようやく自分の番となり、ベルトや靴も脱がされX線装置の中に通された。
通常、搭乗ゲート前に閉ざされた待合場所があるのだが、ここでは、野球でいうブルペンのようなところであり、滑走路を正面にして、その中で待つことになる。
但し、見るものは、野球ではなく、駐機しているセスナ機や滑走路だが。
待合場所の席はほとんど占有されていたが、挨拶を交わした赤い帽子をかぶり、白髪が混じっている髭を生やした中年の男性の隣の席が空いていた。
後に、この人とは縁があることがわかるのです。
ブルペンで待つことに抵抗を感じると思われる一人旅の金髪で若い女性白人は、周囲を拒絶するかのような雰囲気があり、直射日光をもろに受けながら、ブルペンの前にある芝に直に腰を下ろした。
暇だったので、目の前に駐機しているセスナ機の写真を撮ると、急に他の人々も写真を撮り始めた。
実は、空港でむやみやたらに写真を撮ると拘束される恐れがある。
よって、彼らは写真を撮るのは遠慮していたが、勇敢で、容姿端麗、頭脳明晰、健康優良児、更に世界をリードしているような気概を感じさせる日本のハンサムなナイスガイが写真を撮っても、何も起きなかったので、自分たちも撮る気になったのであろう。
時間が経つにつれて、写真を撮る人が増えていった。
つづく
2017年05月17日
ンゴロンゴロ・セレナ・サファリ・ロッジでの反省を踏まえ、出発時間を予定よりも30分程遅らしたので余裕があり、朝食後、敷地内をお散歩することとした。
小径には、朝陽に照らされた木々の細長い影が投げ出されており、しっとりとした空気で満たされていた。
昨日、マニャラ湖国立公園を展望した場所から、早朝の様子を堪能することとした。
急峻なグレート・リフト・バレーは深い緑と輝く緑に分かれており、そのコントラストが美しい。
樹木の中を曲がりくねった道が横たわっており、早朝のためか車からのホーンやエンジン音は聞こえなかった。
遠くに見える街は、朝陽に照らされているものの霞んでおり、よく見えなかった。
しばらく、美しいマニャラ湖国立公園を十分に堪能した後、お部屋に戻り、帰り身支度をした。
宿泊したお部屋。
チェックアウトをスムーズに終え、駐車場へ行くと、すでにガイド氏が待っていてくれた。
車に乗り込むと、ガイド氏から、すえた臭いが漂っていた。
どうやらこの3日間、彼はシャワーを浴びていないらしい。。。
よく見ると、服も3日前と同じである。
マニャラ湖ストリップ(空港)を横切り、舗装された本道にでて、アルーシャに向かって、車は一気に加速した。
途中、マニャラ湖の展望ポイントがあったので、車から出て、景色を楽しんだ。
ガイド氏は、街の方向から来た車のドライバーと情報を交換した後、私を乗せた車は、展望ポイントを後にした。
道は下り坂であり、宿泊したレイク・マニャラ・サファリ・ロッジがグレート・リフト・バレーの上に小さく見えた。
車は、アルーシャ空港へ向けて、ただひたすら疾走するのみとなった。
つづく