タンザニア:ザンジバル
2018年08月21日
今回の旅で確実に、ものにしたいことがあった。
それは、UBERの使い方だ。
ドライバーの選び方、ドライバーとの待ち合わせ場所、運賃の決定方法など等。
ターミナルの外に出ると、太陽は西の地平線に隠れ、TERMINAL 1の青いサインが薄暗くなった夜空に輝いていた。
いつもお世話になっているエアポートタクシーから声がかかったので、今回はUBERを使う旨を丁寧に説明し、彼らの申し出を辞退した。
しかし、それでも「安くするぞ」と運賃を、いつもはTshs45,000にところをいきなりTshs25,000にするドライバーも現れた。
エアポートタクシーは自動ドアなど、車輛の質が良いので、心がぐらついたが、初志貫徹と自分自身を奮い立たせ、彼らを振り切った。
UBERのアプリを開くと自分が今いる空港国内線が出発点となっており、到着点を地図上に入力した。
そして、3種類の車種から、目的地までTshs13,000~Tshs15,000と表示している真ん中のグレードの車種をリクエストした。
すると、ドライバー名、ドライバーの顔写真、車種、利用した人の評価が表示され、「キャンセルかこの人にするのか」とのメッセージが現れた。
このドライバーのモハメッドさんに確定すると、「6分後に到着するので、ターミナルを出て右進み、道路の右側の縁石にいるように」とのメッセ―ジが現れた。
メッセージの「6分後に到着」が「4分後」になり、更に短くなったところで、ヘッドライトを付けたトヨタISTが、メッセージ通りのところに停止し、助手席の窓が開いた。
車は、エアコンが効き、清潔で変な臭いがすることはなく、市内で拾うタクシーとは天と地の差であった。
彼は、私の名前をドライバー用のUBERのアプリが入った携帯から確認しており、私が日本人であることがわかると音楽を流し始めた。
その音楽は日本のもので、日本から車を直輸入した時に、一緒についてきたものを、そのまま使用しているものと思われる。
その時の音楽がこれだ。
クリック!
さらに、いくつか入力されており、FM放送の音楽番組もあった。
これ以外にもチェーリップのベストがあることから、車の色や車種も含めて、この車の日本での所有者は、30代後半から40代後半の男性とプロファイルした。
そして、これが、そのFM放送だ。
クリック!
窓の外は暗くてよく見えないこともあり、車内では、まるで、日本にいる時のような気持ちなった。
目的地に到着し我に返ると、UBERのアプリにTshs15,000が現れ、空港の駐車場代Tshs2,000も加えて支払った。
いつものタクシーの運賃の、約半分であった。
最後に、ドライバーの評価を求められたので、5中5とした。
UBERの料金体系は、基本料金、走行距離、待ち時間からとなっており、渋滞にはまると相当かかるかもしれない。
今回の旅では、目的である巨大カメに出会うこと、UBERを使用できるようになることを達成できし、この日の夜は、これらができたうれしさのあまりで、なかなか寝付けなかった。
ところで、ザンジバルと言えば、やはり、巨大カメさんです。
プリズン島に生息する巨大カメに出会う旅(完)
<出費>
・フェリー代 1,700円
・航空運賃 3,600円
・ボート代 2,500円
・UBER 850円
・バス代 15円
・昼食代 420円
・お茶代 100円
・ジュース代 100円
・入島料 100円
合計 9,385円
【プリズンアイランドから海を臨む】
2018年08月20日
国際線と国内線のターミナルは少し離れており、徒歩で移動することとなる。
しかし、幸運にも、前回訪れた時に進行中であった国内線ターミナルの工事は終わり、仮の国内線ターミナルから本来の国内線ターミナルへ移っており、国際線ターミナルとの距離は、以前よりも短くなっていた。
国際線ターミナル。
本来の国内線ターミナル。
チケットを見ると、30分前からチェックイン手続きとあったので、まだ時間に若干余裕があり、国際線と国内線の間にあるベンチで、しばらく時間を潰すこととした。
木のベンチに座っていると、目の前には真っ青な空が広がり、樹木が木陰をつくり直射日光から守ってくれ、どこからともなくやってくる風がすり抜ける。
ザンジバルで、最も心地よい場所であった。
出発45分前になったのでセキュリティーチェックへ向かうと、やはり、乗客のほとんどは白人のツーリストで、大きなバックをX線装置に通していた。
いくつかあるチェックインカウンターは、なぜか、コスタルアビエイションのカウンタの前のみに列ができており、私の前にはお子様を2人連れた家族、後ろには韓国人(パスポートから確認)の若い女性が並んでいた。
係員の説明によると、この日最終の18;00のフライトは3機あるとのことで、2番目が私の機体とのこと。
時間になったら呼ぶので、搭乗口近くにいるようにと言われた。
搭乗券を手に入れ、待合スペースの中央を突っ切り、空いているベンチに目もくれずに進み搭乗口に到達すると、フライドバイ、カタール航空、オマーン航空の機体が駐機しているのが見えた。
出発予定15分前になると、18時のフライトの1機目の搭乗案内が始まった。
そしてその10分後に、2機目及び3機目の搭乗案内となった。
ところで、タンザニアの国内線を利用して、はじめて体験することが起きた。
なんと、ターミナルビルから機体まで、バスで移動するとのことである。
いつもは、雨が降っても槍が降っても、永遠と歩かされるのだが、コスタルアビエイションは、ついに改心したのであろうか。
しかし、ミニバスに乗客をぎゅうぎゅうにおしこめ、シートが不足してしまい、立っている乗客がいることから、改心したとは思えない。
機体の前では機長が、乗客を出迎え、一人一人に水のペットボトルを渡していた。
機体は少しくたびれているが、20分のフライトなので気にならない。
パイロットは2人おり、左側の若い方が操縦していた。
イリンガ旅行で利用したオーリックエアーと異なることは、まずはコスタルアビエイションのパイロットは、まともな制服を着ていることだ。
そして、もう一つは、機体が異なり、オーリックエアーの液晶パネルの方が大きく、最新の技術を使った機体の様であった。
機長から安全の説明があり、さらに、サンセットが見られるかもしれないとの説明があった。
いつ離陸したのが分からないほど、スムーズに上昇した機体からは、ザンジバルの建物が徐々に遠ざかっていくのが見えた。
インド洋に出て、しばらくすると、前方にボヨンゴ島とムササニ島が現れた。
今回は、ムササニ半島を突きって、ウパンガをかすめるように飛び、空港にアクセスする最短ルートである。
いつもは、下から飛行機を見上げていたが、この時は上からムササニ半島にある高級住宅街を見下ろし、ムササニ半島の全体像が理解できた。
ムササニ半島を通り過ぎると、眼下の風景は、シティセンターの高層ビル群へと変わった。
機体が空港の滑走路と平行となった時に、機長と操縦者が私の方へ振り返り、睨んだ。
それは、カメラのシャッターを軽く押すと、機内に十分な照度が無く、自動的にピントを合わせるための緑の発光があり、操縦の邪魔をしたからである。
ごめんなさい。
申し訳ない表情でカメラの電源を落とし、ホルダーにしまうと、パイロットたちは何も言うことなく、前を向き、着陸に集中した。
機体から、いつも通り、駐機場をターミナルの搭乗口まで歩かされ、そしてここでもいつもの通り、乗客では私が初めにターミナルビルの中に入った。
そして、これから、この旅の最後の試練に挑むのです。
つづく
2018年08月19日
やはり、ストーンタウンのそぞろ歩きは楽しい。
それは,数百年前からこの街を造り続け、この街で生活していた、そして今も生活している人々の思いが肌で感じられるからであろう。さらに、その思いが、街の至る所で、目に見える形で残っている。
また、道幅が狭く車の通行が困難なため、車との接触事故のストレスが無いのも、その要因の一つである。まるで、ベネチアのように。
もうしばらく、石畳とサンゴ礁でできた壁の建物で囲まれた旧市街地を散策したかったが、出発の時間が迫ってきたので、今回のザンジバル小旅行はここまでとした。
空港行のだらだら乗り場は、議事堂の南にある。
スポーツができる公園が近くにあり、その隣の道は、樹木で覆われた木陰の回廊となっており、この涼しげな緑のトンネルを散策したくなった。
ダラダラ乗り場では、行き先が異なるダラダラが客待ちをしており、満席になると出発する。
タクシーでは市内から空港まで1,000円ほどらしいが、ダラダラは15円。但し、車輛は世界遺産級の骨董品。
前回は、移動の途中で雨が降ってきたが、今回は快晴の中、渋滞も無く空港へ進んだ。
途中、遊園地があり、アトラクションの一つとしてジェットコースターがあった。
タンザニアでジェットコースターとは、本格的な絶叫マシーンである。しかし、お客さんはなぜか、1人も見当たらなかった。
最終停留所の空港で、すべての乗客を降ろした505番のダラダラは、新しい乗客を乗せ、市内へ向かって出発した。
まだ出発まで1時間20分程あったので、空港ターミナル外のカフェでお茶をしたくなった。
カフェは3か所あり、そのうちの一つで、いまだかつて経験したことがないことを発見した。
外国人がお茶をしている2つのカフェ。
プリズン島内のレストランのように高い。
そして、それらのレストランに挟まれるように、驚きを隠せないカフェはあった。
そのカフェのメニューがこれだ。
チキンビリヤニが200円と通常の60%のお値段。チキンビリヤニだけでなく、サマキやピラウも安い。
これは、空港職員用のカフェであろう。ちょうどバンコクのスワンナプーム国際空港1階(地下1階?)にあるフードコートのように。
と言うことで、ここでお茶をすることとした。
店内には、海からの風が通り抜け、中央には、木でできた素朴なテーブルが3つ並べられていた。タンザニア人1人がお食事をしているのみで、この日は店じまいの雰囲気があった。
注文したエナジードリンクは、この後、搭乗待合室の売店で購入した値段の半分で、ケーキも含めて、100円であった。
従業員は2人おり、とても愛想がよく、テーブルの上の清掃もタイミングよく行っているなど快適に過ごすことができた。
撮影した写真のデーターを選別していると、出発1時間前になったので、次回はこのカフェのチキンビリヤニに挑戦することを心に固く決めて、ターミナルへ向かった。
つづく
2018年08月18日
ストーンタウンで、ぜひもう一度訪れてみたい場所。
それは、100年以上前から日本の女性が住み始め、数十年前迄生活をしていたジャパニーズバーだ。
白石顕二著の「ザンジバルのからゆきさん 娘子軍」を読んで、その歴史を実際肌で感じたくなり、改めてその場所を見に行くこととした。
2階建ての建物に挟まれ、車が通れるか通れないかの道幅の道路を、以前来たときのかすかな記憶を頼りに進む。
道路は、建物の日陰となり、直射日光が当たらない分暑さを感じず、更に時折、風が通り抜ける。
途中、目印となる教会に到着した時に、念のため地図で道順を確認し狭い道を更に進むと、開かれた場所に到着した。
目の前には3階建ての建物が現れ、1階はお土産屋さん、2階には洗濯物が干されていた。
本の写真と前回訪れた記憶から、この建物が間違いなく、ジャパニーズバーがあったところである。
どこの部屋がジャパニーズバーなのかわからないが、当時と変わらない建物を見ながら、この場所で何十年間、生活してきた女性の心中を想像した。
いろんな思いが浮かんだが、結局、本人しかわかないことで、他人が断定的な雰囲気を醸し出すのは、その本人にとって失礼ではとの結論となり、感じたことを心にしまい、この場を去った。
さて、お腹が空いたのでお食事をと思い、前回来たときには、土曜日なので、早めに店じまいして、昼食が取れなかったLukmaanへ行くこととした。
多少迷いながも到着したLukmaanは営業をしていたが、午後3時前にも関わらず観光客で席がうまっており、お食事ができるまで、相当待たされそうであった。
フライト時間もあるので、前回お食事をしたLukmaan隣のカフェへ移動した。
そして、そのお店の前に立ちビックリ。
店内が2倍の広さとなっており、更に増築工事にあわせて、室内の改修工事も行われたようで、壁や天井がきれいになっていた。
前回いなかったウエイトレスも複数働いており、彼女たちは、大変愛想が良かった。
美味しかった、チキンビリヤニを注文したが、売り切れであった。
代わりにチキンタンドリとピラウを注文した。
チャイを注文すると、ウエイトレスは微笑みながら、私がどの程度、スワヒリ語ができるかを知るために、私へ、わざとスワヒリ語でブラックティかミルクティかと訊ねてきているようであった。
しかし、欲しかったミルクティのスワヒリ語を聞き取れはするものの、スワヒリ語で言えないので、仕方なく英語で注文した。
お客さんの出入りが途切れないことから人気店らしく、美味しい料理を雰囲気の良い店内で食べ、気分よくお店を後にした。
ところで、この通りには、観光客をターゲットとしたレストランが増殖しており、紹介した2店の近くにあるZAFAIZZAもそうであろう。
この通りは、将来、観光客用のレストラン通りになるかもしれない。
お食事を終え、30分程、旧市街地をお散歩することとした。
2018年08月17日
船着場に戻ると、ボートが10隻以上、浮かんでいた。
アリさんがキャプテンのボート探すと、屋根に「MANTA RAY」の文字が遠くに見えた。
手を振ったが、私に気が付かない。
近くにいたガイドは、大声をあげて、ボートのキャプテンに自分たちの存在を気が付かせようとしていたが、お上品な私は、他の方法を用いることとした。
アリさんのお兄さんの携帯へ電話した。わずか、3回のコールで出たお兄さんにストーンタウンへ戻りたい旨を伝えると、「もう十分なのか」と訊ねたので「十分楽しんだので、迎えに来てほしい」と答えた。
電話を切ると、アリさんがこちらを見たように見えたので、手を振ると、アリさんも手を振りかえしてくれた。
しかし、ボートをよく見ると、船の先端に何かが置かれ、そこから火の手が上がっている。
何かをしていることは間違いなく、もしかしたら、私を待っている間に、昼食を作っていたのではなかろうか。
ボートが近づいたので、甲板をよく見ると火が付いた石炭とアルミホイールにまかれたサマキ(魚)があった。
やはり私の感は正しかった。
私がボートに乗り込むと、アリさんはどこかへ電話し、何か大切なことを話しているようであった。
少し強めの口調と、時々険しくなる表情から、おそらく、「昼食を作っている途中なので、今は私を乗せてストーンタウンに戻れない」との内容であろうと想像した
アリさんは電話を切り「こちらに向かっているボートがあるので、アリさんにお金を払った後、そのボートへ移ってほしい」とのことで、私の推測がまたもや当たったようだ。
5分と経たず、そのボートが現れた。しかし、すでに4人の男女が乗っており、そのボートのキャプテンへ、「ほんとに、このボートに乗っても大丈夫か」と訊ねると、「同じ会社のボートだから大丈夫」との返事。
念のため、ボートの中にいた白人の1人に同じことを訊ねると、「どうぞ」とのこと。
これで、めでたく、予定よりも早くストーンタウンに戻ることとなった。
白人は、カップル2組の計4人。歳は20代で、ロシア語で会話をしていた。彼らからは、長旅の疲れのようなものを感じ、ロシア人(たぶん)にしては口数が少なかった。
その中の女性1人がTシャツを脱ぎ、ビキニ姿になると、彼女の背中全体に多くの赤い湿疹があった。
これは、ダニに食われた場合に起きる症状で、おそらく、バックパッカーが泊まるホテルを利用しているか、あるいは、彼女はダニに過敏に反応する体であろう。
ところで、この船のキャプテンはアリさんよりも陽気でよくしゃべる。
少しのお金を出せば、スネークアイランドや英国人が住んでいた島に道草ができるなどと提案し、商売熱心である。
白人は、彼の話に合わせるが、このような肝心な部分には同調せず、ストーンタウンへ真っ直ぐ戻ることをやわらかく、しかし、はっきりと主張する。
彼らが船長の提案を拒否してくれたおかげで、私は、ダルエスサラーム行のフライトに十分間に合いそうであった。
また、ストーンタウンに近づいたところで、沖合に停泊しているフェリーは、ダルエスサラームとザンジバル間を航行した第1号であることを、キャプテンから教えられた。
プリズン島を出てから20分後には、ストーンタウンが間近となっていた。
船を降りて真っ先にしたことは、誰に船賃を払えばよいか、アリさんのお兄さんへ電話したことだ。
プリズン島へ向か前に払うこととなっていたが、支払わず、ストーンタウンに戻る時にアリさんへ払うことであったが、これも行わなかった。
彼らは、言うことはシビアだが、やっていることはおおらかだ。
おそらく、船賃を支払わずにばっくれることもできるであろうが、自分の人間としての価値を木端微塵にする、このようなゲスな行為は絶対にやりたくなかった。
結局、ストーンタウンへ送ってくれたキャプテンへ支払うこととなった。
通常、相乗りの場合は、1人1,000円なのだが、行の船は楽しい思いをさせてもらい、帰りの船は私の無理をきいてもらったので、最初の約束の、2,500円支払った。
非常に楽しい船旅とアイランド訪問であった。
つづく