香港
2019年07月22日
トワイライトフライトでドーハへ
ドーハ行きの機体は、250人以上乗客を収容できるボーイング777-300ER。
しかし、大型機にも関わらず、搭乗口の前はいつもの賑わいはなく、やたらゆとりを感じた。
実際、機内に乗り込むと、すべての乗客は速やかに、指定されたシートに座ってしまい、シートの20%ほどしか埋まらなかった。
乗客が少ないこの便は快適で、更に、座席の背もたれの後ろに大きなモニター、ブランケット、枕、そしてトワイライトフライトのためか、お泊まりセットもある。
トイレには、トイレットペーパーの横に、ウエットティッシュがあり、日本では当たり前となったウォシュレットが無くとも、お尻を清潔にできる。
すでに、機内へ荷物も収容し終えているにも関わらず、機体はなかなか駐機場から離れようとしない。
出発予定時刻の15分前にエンジンを始動し、1分前に滑走路へ向かった。
香港を後にする
窓の外を見ると、いつのまにやら、曇天から雨となっており、翼から水飛沫が後方へ流れていった。
シートベルトのサインが消えると、両隣に誰もいない席に移動し、肘掛けを上げ、寝そべる人が多数いた。
私も、夜食と朝食はキャンセルし、9時間唾眠をむさぼることにした。
しかし、少しでも機体が揺れるとシートベルト着用のサインがでて、 CAが機内を見渡し、眠っているところを起こされ、シートベルトを締めさせられる。
ところが、シートベルト着用のサインの点灯頻度が多いので、そのうち、 CAは乗客起こして無理にシートベルトを絞めさせに来なくなり、シートベルト着用のサインが出ても、無視してシートに横になって眠り続けることができるようになった。
時折目を覚ますが、日本との時差が6時間あるので、窓の外は夜が続き、地上にはユーラシア大陸の街の灯りが点々と見えた。
それでも、ドーハ上空にさしかかると、空がオレンジ色に染まり出した。
つづく
2019年07月21日
不思議な入国審査
空港までは、10分足らずなので、2階建てバスの1階に多くの乗客はいた。
空港のバス停から出発ロビーまでの案内が、不親切なのを呪いつつ、ターミナルの3階のドアを潜った。
目の前に広がった出発ロビーは、2年前と同じで、ライト兄弟の飛行機が天井から吊りさげられおり、一際、目を引く巨大な赤いボールも天井から並んで吊られていた。
すでに搭乗券は手に入れていたので、セルフ出国審査へ向かった。
手順は、日本の空港と似ており、パスポートの写真のページをスキャンし、次に搭乗券のバーコードを読み取らせる。
そして、次はX線装置に荷物を通すセキュリティチェックと思い、コインや時計を鞄に入れ準備すると、セルフ出国審査とまったく同じ機械が並んでいた。
「この手続きは、なんのためだろうか」と考えつつ、前のセルフ出国審査と同じ手続きを行った。
珈琲とチーズケーキでくつろぐ
出発迄、十分時間があるので、一つ上の階のフードコートへ行くと、珍しく席に余裕があった。
香港、ドーハ間のフライトは夜間のうえ、9時間以上あるので、機内では食事はとらずに爆眠することにし、ここで軽く食べることとした。
食べ物が高いこのフードコートでは、安めのマックカフェで、お水とチーズケーキ600円を購入し、一つ下の階にある搭乗口が見渡せる席へ運んだ。
食べ終えても、出発まで、まだ2時間あるので、写真の整理やメモ書きをしていたら、睡魔が襲ってきた。
それでも、これらをボケた頭で行っていると、さらさらと時間は流れていった。
出発時間に間に合うように搭乗口に到着すると、午前0時をまわっていた。
つづく
2019年07月20日
ぼんやりとしていて、降りる場所を過ぎてしまった
重慶マンションの近くから乗ったA21バスは、2つ目の停留所で、満席となってしまった。
ところで、バス内ではお釣りがでないため、停留所の近くにチケットオフィスがない場合は、小銭を用意する必要がある。
市内中心部から離れると、車窓から、限られ平らな土地に建てられた高層マンションに照明が灯されているのが見え、途中、渋滞に巻き込まれることなく、1時間程で空港に到着した。
バスの運転手に「ここは空港ですか」と尋ねると、戸惑った表情で「すでに空港は通過しました」との返事であった。
思い返してみると、7、8分前の停留所で大きなスーツケースをもった10人程が、バスを降りた。
どうやら、ここは、昨年完成した香港からマカオを繋ぐ橋の香港側のバスターミナルの様である。行きのバスで、満員となった停留所であった。
事実、ターミナル内にイミグレーションがあり、ここで降りた乗客は、小さな手提げ鞄しかもっていなかった。マカオの住民たちであろう。
ターミナル内の案内所で教えてもらった空港行きのバスは、一つ下の階のB6乗り場から出ているとのこと。
このバスは、空港まで6香港ドルで、8分から15分間隔で運行されている。
早めに、市内を出発したので、フライト迄は十分な時間があるため、このようなトラブルにあっても、パニックになることはなかった。(アフリカで、もまれているので、この程度では慌てることないが・・・)
この様な状態の中で、すでに停車していたバスに乗り込み、10分程待っただけで、空港へ向かった。
つづく
2019年07月19日
居心地がよい重慶マンション
ネイザンロードにある重慶マンションの廻りには様々なお店があり、それらのカラフルな外壁や照明からの光りの中を歩いていると、心楽しくなった。
ところで、下川裕治著のアジアの安宿によると、重慶マンションは、アヘンの巣窟とか犯罪の温床等の風評があり、在留邦人から敬遠されているか、そもそも知らない人もいるらしい。
宿泊したわけではないが、私が実際に重慶マンションに足を踏み入れて感じたことは、「意外と居心地が良いかもしれない」である。
様々の人種の人々であふれており、そのことが適度な無関心を作り出しており、と同時におせっかいな人に囲まれている心温かさを感じたのだ。
また、1階を占拠しているような中東・インドの食堂では、いつでも旨いものを安く食わせてくれる。さらに両替所も複数あり、便利だ。
重慶マンションは、物価が高い香港では、異色のエリアなのかもしれない。
雑踏へ踏み出す
重慶マンションから遠ざかり、賑やかな通りを適当に歩いた。
屋台に毛が生えたような食べもの屋さんの前には、行列ができており、日本でも見られる光景である。
お食事はここ
この様なところでのお食事は、必然的に、お馴染みのマクドナルドが候補となるが混んでおり、近くにあったフィリピンで大人気のジョリービリー の看板が偶然目に入った。
このお店は、マクドナルドと似たようなメニューで、ハンバーガーとポテトとコーラで600円ほど。
ところで、店内では、お年寄りが清掃しており、道端でも看板をもったお年寄りを多く見かけた。
高齢化社会に突入した日本も、近い将来このようになるのであろうか。
夜の香港
陽が沈むにつれて、通りに人が多くなり、真っ直ぐ歩くのが困難になってきた。
看板に灯が入り、漢字が浮かび上がるのだが、多くのこれらの看板を見ても、なぜか中華らしさが感じられない。
ここからは、日本の渋谷や六本木のような、お洒落らしさが漂っているのは、都会は似たような傾向で成長するからであろうか。
それでも、小道はごちゃごちゃ感があり、中華の残照のようなものがある。
カントンロードにあるハーバシティからは、この時間になると香港島や九龍の高層ビル郡の美しい夜景が見える。
沢山の通行者に混じって、昼から夜へ変わる香港の街を歩いていると、深い満足感に満たされ、少し早いが、空港へ戻ることにした。
続く
2019年07月18日
運賃が安いバスを利用
市内までのアクセスは、電車がわかりやすいうえ、早くてよいが115香港ドルと高い。
よって、時間はかかるが33香港ドルと安いバスを利用することにした。
ターミナルビルのドアを潜ると、肌を刺すような寒さは感じず、しかし長袖は必要で、私のように爽やかな気候であった。
尖沙咀行きチケットをオフィスで購入し、A21バス乗り場に行くと、バスは発車しようとしていた。
急いでバスに乗り込み、チケットを運転手の前にあるボックスの中に入れ、近くにある階段を上がり、2階の席に座った。直に席が半分程埋まり、バスは出発した。
しかし、10分程走ったところにある次の停留所で満席となった。ここは、帰りのバスで重要な意味を持つ場所となるのです。
空港を出てすぐは、湾に船が行き交う風景が続き、島と島をつなぐ橋を渡ると、高層マンションが目につくようになった。
車内上部にある電光案内板には、バス停名だけでなく、そのバス停の近くにあるホテルも英語と中国語で流された。
悪の巣窟との噂の重慶マンションへ
香港ドルの持ち合わせが僅かなので、レートがよい両替商が入っている重慶(チョンキン)マンションの近くで降りた。
ネイザンロードにある重慶マンションは、複合用途のビルで、様々なお店が入っており、1階には中東系の食堂が多く目についた。
このビルの入口では、ゲストハウスの名刺をもった客引きに、声をかけられた。
そう言えば、深夜特急の沢木耕太郎(大沢たかお)も、ここで客引きに連れられて、この重慶マンションのゲストハウス(ハッピー旅社)に宿泊していた。
ちなみに、今となっては大変珍しい深夜特急のテレホォンカードを、私は持っている。
オークションで高く売れるかな?
重慶マンションは、数十年前に訪れた時とあまり変わってないのを嬉しく思い、レートが最もよかった両替店で、50ドルを1ドル7.82香港ドルで両替し、街をぶらつくこととした。
つづく