2017年01月

2017年01月31日


芸術を鑑賞したらなぜか無性にお腹が空き、すでに午後1時半を回っていたので昼食をとることとした。
 
途中、広大な敷地にも関わらず、芝生と樹木がよく手入れされ、思わず散策したくなるようなキガリ・センティナリ・パークを通りすぎる。
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ホテルでいただいた無料の地図によると、この近くにルワンダ料理レストランのアフリカン・バイトあるらしい。
 
そのレストランが位置するエリアに到着すると、今まで通過してきたエリアとは明らかに異なっており、レンガでできた通りと樹木が美しく、高級住宅が立ち並んでいた。
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鉄ゲートの奥からは一般民家の雰囲気が漂っており、その鉄のゲートには、営業時間や連絡先がペイントされている。
 
そのゲートを潜り、敷地内の坂を少し上ったところにレストランがあった。
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テラス席でお客さんかスタッフか、わかない人々がテーブルで談笑しており、このテラス席以外にも、室内に大部屋と小部屋があり、まるで一般民家を改装したような造りであった。
 
写真ではテーブルが写っていないので分かりづらいが、大部屋。
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小部屋。
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すでに2時半になっていたので、あまり元気がないスタッフへビッフェランチがまだ、あるか確認したところ、あるとの返事であった。
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トレーを見ると料理も十分残っていたため、ここで昼食をとることとし、料理を大皿に載せた。
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無制限に料理をとることができるため、何回でもお代わりができるようだが、ホテルの朝食をとりすぎていたこともあり、翌日下痢と嘔吐でトイレとベッドを往復することを恐れ、少なめとした。
 
タンザニア料理と似ており、日本人の口に合う料理で、食が進んだ。
 
ホテルをでてからアフリカン・バイトまで結構な距離を歩き疲れたので、ホテルで一休みしたくなり、ビュッフェランチと飲み物代450円を支払い、レストランからホテルへ直行した。
 
つづく


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2017年01月30日


クラッシク、バレーなどの芸術は興味があるが、絵画もそれらに劣らないほど関心がある。
 
トリップアドバイザーによると、キガリ市内には芸術工房がいくつも点在しており、そこでは直販売もしている。
 
キガリ虐殺記念館から、美しい風景を眺めながら歩いていると、その途中話しかけられた、背が高い地元の高校生男女が推薦したイネマ・アート・センターへ行くこととした。
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ところで、ルワンダ人は素朴で親切だ。
 
地図を広げていると、何処からともなく寄ってきて、何処へ行くのか尋ねられる。
 
訊いた本人がわからなければ、近くの人に訊き、その人がわからなければ、更に別の人に訊いて、人々の輪ができることがある。
 
彼らは、チップをよこせということはなく、困った人を見かけたら助けずにはおられない親切心からであることわかり、とてもうれしい
 
イネマ・アート・センターへ行く途中、舗装されゴミが落ちていない道路に歩道が沿っており、そこから見える丘の中腹に、建設中の無数の白い住宅が目を惹いた。
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空の北の方から厚い雲が流れ、辺りは薄暗くなり、ついに雨が降り始めたころ、タイミングよくイネマ・アート・センターに到着した。
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ここでは、定期的にコンサートや試食会や試飲会も行われているらしい。
 
2階建ての民家を改装したようで、1階テラスにカフェ及び工房、1階室内には芸術家たちの台所と個室あり、さらに芸術品が展示されていた。
 
作品は、現在アートで、抽象画が大半であり、さらに廃材を利用したものもあった。
 
お値段も数十ドルから数千ドルであり、いつか、この価値がわかるパトロンが見つかればよいと思った。
 
工房を出ようとしたが、雨が激しくなっていたので、雨漏りがするカフェで、雨に当たららない場所を探し、お茶をすることとした。
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300円のカプチーノを飲みながら、雨に霞む風景を眺めていると、ウガンダから取材か何かでやってきたカップルが近くの席に座り、工房で働く人へ英語で質問を始めた。
 
カプチーノを飲み始め20分が経つと、雨がほとんどやんだので、工房を後にした。
 
つづく

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2017年01月29日


キガリ虐殺記念館のゲートで荷物チェックを受ける。
 
荷物は、昨日ナクマトスーパーマーケットで貰った紙袋の中にある折り畳み式傘と地図のみなので、問題なくパス。
 
なお、ルワンダのスーパーでは、プラスチックのレジ袋ではなく、紙袋を使用する。


ただし、これが導入された時には、お肉やお魚も紙の袋に入れ、どろどろの状態になってしまったので、現在はその点は改善されたらしい。


そういえば、タンザニアでもレジ袋は今年から紙を使用する予定であったが、どうなったのだろうか


さて話を記念館に戻すと、ゲートの脇にある階段を下りると石畳の道にぶつかり、記念館が見える方に進む。
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自動ドアを潜ると2人の係員がおり、一人は先客に説明をしていた。
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もう一人の女性の係員によると、建物内の撮影は禁止だが、この受付内と外は撮影してもよいとのこと。
 
更に、この建物の運営は寄付で賄われており、数か所に透明なドネーションボックスがあった。
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ドナーとして日本もかかわっているらしい。
 
受付の隣の部屋で、ジェノサイドから生き延びることができた人々のお話のフィルム15分程観た。
 
フィルムによると、ジェノサイドが発生する前は、近所仲良く暮らしていたフツ族が、ツチ族へ突然襲いかかり、それでもかろうじて生き延びたツチ族の人は、人をもはや信じられなくなるトラウマになった
 
また、穏健なフツ族の人々やツチ族と結婚したフツ族の人も、同族のフツ族から残酷なやり方で殺された。
 
この様なことは、現在ののんびりとしたキガリの街からは想像だにできないが、街の至る所にいるライフルをもった兵士が、その当時の名残なのかと思わせる。
 
自由だが治安が悪いのと、自由の制限があるが治安が良いのでは、迷うことなく後者を選ぶ。(程度問題でもあるが)
 
国家は国民へ安全を保障する義務があり、外からの侵略に対して国民を守ることは当然の事だが、国内で起きる危険からも国民を守る義務があることを改めて確認した。
 
この様な事を考えながら、次の建物へ向かった。
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この建物内は、ルワンダの植民地時代から始まり、虐殺が終わるまで及び、ナチスやカンボジアやコソボで起きた虐殺も写真やビデオで案内していた。
 
出口付近には、この虐殺で犠牲になった子供たちの写真が展示された部屋もあり、その殺され方は惨たらしく、国家の重要な役割をここでも認識した。
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薄暗い建物から外に出ると、アフリカの力強い太陽が照りつけ、その明るさに目がくらんだ。
 
ところで、記念館の敷地内にはバラ園やカフェもある。
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右側の花壇がバラ園
 
そして、タイミングが悪いためか誰もいないカフェ
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最後に、数十万人が埋葬されている場所を観ながら、キガリ虐殺記念館を後にした。
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つづく


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2017年01月28日


この日は、ルワンダ市内の長い道のりを散策するつもりなので天気が気になり、ルワンダの放送局にテレビのチャンネルを合わせた。
 
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この人は、かつらをしているのかな
 
ところで、キガリ市内を闊歩している若い女性とダルエスサラーム市内の女性を比較すると、断然、キガリ市内を闊歩している女性の方がおしゃれ。
 
彼女たちは、かつら、ブラウス、ミニスカートを3種の神器のように身に着け、美しく清潔なキガリの街を満喫している。
 
話を天気予報に戻すと、いつまでたっても天気予報が始まらないので、フランス語の放送TV5(ティー・ヴィー・サンク)にチャンネルを変えると、タイミングよく天気予報が始まった。
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TV5はアフリカ版のようで、一番初めにアフリカの天気予報を伝えた。但し、キガリの天気予報はなかったが。
 
ところで、この人もかつらか

 
休日の土曜であるため、昨日散歩した時のような渋滞が発生しておらず、また、この頃には、昨夜の週末の賑わいは完全に消滅していた。
 
日差しは、街が標高1500Mにあることを感じさせるように眩しく、しかし、空気はしっとりとしていてどちらかと言うと肌寒く、快適なお散歩になりそうだった。
 
丘の上にあるホテルを出発してしばらくは下り坂となり、ショッピング街や工事現場やユニークな建物が目についた。
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坂を下るにつれて、建物は減り、代わって樹木が道路の両側を圧倒し始めた。
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ところで、キガリ市内では正確な地図さえ待っていれば、迷子になることはないであろう。
 
通り名は規則性がある番号がついており、更に必要と思われる場所に表示板が設置されていた。
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坂を下りきったところに、ダルエスサラームではめったにお目にかかれない立体交差があり、そこから上り坂になった。
 
坂の途中にキガリ虐殺記念館が現れたが、地図上では40分くらいで記念館に到着する予想が外れ、道が曲がりくねっていたことや坂であったことで、到着迄1時間弱かかった。
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キガリ虐殺記念館の駐車場からは、丘の上に立つ出発地点にあった高層ビル群が見えた。
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つづく


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2017年01月27日

 
到着翌日の朝は、標高が高く気圧が低いためか、朝早く目が覚めた
 
朝食が始まる7時まで、ベッドの上で、のた打ち回ったあとシャワーを浴びた。
 
7時を10分程過ぎた頃に、長い道のりを朝食会場迄歩いた。
 
一番初めに朝食会場に到着したと思ったが、中国人と白人数名がすでに朝食をしていた。
 
階段を下りたところで、ホテルスタッフへ部屋番号を知らせると、料理が置いてある場所迄案内してくれた。
 
ブッフェは特に種類が多いとは言えないが、コーンフレーク、パン、ご飯などひと通り揃っており、卵もシェフが目の前で焼いてくれた。
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自分で焼いたパンとサラダとオムレツを、なるべく料理が準備されている場所から近いテーブルへ運んだ。
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その料理がこれ。
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サラダをパンにはさみサンドウィッチにする。
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そして2回戦は、野菜スープ、ソーセージ、大豆など。
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デザートは果物、ヨーグルト、珈琲。
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ついでに、2日目の朝食がこれ。
1日目の朝食は、多くとりすぎたことを反省し、少なめにした。
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最終日の朝食。

2日目の朝食は1日目の朝食よりも減らしたつもりだが、2日目の朝食もそれでも多かったため、更に減らした。
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お腹がいっぱいになり、お部屋へ戻った。
 
つづく
 
【ホテル情報】
ホテル名:2000ホテル
所在地:KN82ストリート(キガリ・シティ・タワー近く)
宿泊料:US60ドルから(税、朝食、空港送迎込)
ホームページ:http://www.2000hotel.com/


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