2022年09月29日
出発の朝(2022年9月29日)
◆大人になったというよりも慣れた◆
ジガンショール滞在最終日の朝となった。と言っても2日前の夜に到着したばかりであるが。
前日に、ホテルから4キロ程離れた空港ターミナル内にあるエールセネガルのオフィスで、私のフライトの運行状況を確認すると、「予定通り」との自信に満ちた回答を女性職員から得た。
更に念のため、行きのフライトでは、私が搭乗する予定であった便が消滅し、代わりにトランスエアーの便に振り替えられた旨を説明すると、パイロットが病気になったためとの説明があった。帰りの便は、このようなことが発生していないとのことであった。
ホテルから空港までは、わずか徒歩45分程であり、早朝のジガンショールを満喫したく、タクシーを使わないことにした。
チェックアウトの時、一泊4,100FCFAのはずが、4,500FCFAを請求されたので、ホテルとのやり取りのメールを提示すると、4,100FCFAとなった。
ここで、あることに気が付いた。
それは、このようなことが起きても、全く腹が立たなくなっている自分だ。納得がいかないことに対しては、客観的な事実を提示し、主張すべきことは淡々とする、ただそれだけだ。
◆乾季早朝のジガンショールの様子◆
曙の空気は、湿気を含んでおり、頬に触れるそよ風は実に心地よい。暁暗の空が真っ赤に染まり、鳥たちが空を舞い始める。
早朝の下町は、徐々に活動を始めているが、まだ落ち着きがあり、その中をエンジン音を響かせたバイクが私に近寄り、「乗って行かないか」と声をかけた。
ダカールでは見かけることが無い、バイクタクシーがジガンショールでは活躍しているのだ。まだ、体験したことがない地方都市の早朝の空気を、ゆっくり歩いて体全体で受け止めたく、丁寧にお断りした。
到着した空港のゲートで、ライフルを持った兵士に行き先を訊かれたので、本日の便でダカールへ行く旨伝えると、難なく通してくれた。
ターミナル前には、現地食堂のおかみさんが準備をしており、ターミナル入口では係員が座って雑談に興じていた。
荷物をX線装置に通して、ターミナル内に入る。
チェックインカウンター前には、スーツケースや鞄が3つすでに置かれているが、おっさん一人しかいない。
出発までは2時間以上ある為、手続きが始まるまで、持参したイスラム基礎講座を読むこととした。
◆空港での異変◆
乗客が集まり始めた頃、エールセネガルの職員が現れ、私と他の乗客のEチケットを回収した。
しばらくして、私のEチケットもって現れた職員によると、フライトが変更になった旨を伝えるため、昨夜電話をしたがつながらなかったとのこと。
そう言えば、夜の10時半頃に、私の携帯に電話の呼び出し音が、何回か鳴ったことを思い出した。
エールセネガルは、出発時の便の振替や搭乗待ちの乗客へのお食事や珈琲の配給など、国際スタンダードのサービスを提供しようとの努力はしているようである。
さすが、ナショナルフラッグシップのキャリアだ。
結局、10:50出発が12:45分出発になってしまった。
やがて遅延の連絡が伝わっていたお客さんが徐々に集まり始め、小ぢんまりとしたカフェは営業を始め、2人のセネガル人がお茶をしていた。
更に遅れることを覚悟していると、意外にも10:45にチェックイン手続きが始まった。なお、今回も当然フリーシートである。
◆良くなったATR◆
12:00頃に搭乗口前のスペースに入ることができ、その10分後に、爆音が室内に響いた。
もしやと思い、窓から滑走路を見ると、エールセネガルのペイントが施されたATR72-600が、こちらに向かってきた。
機体から数人の乗客が降り、その後、搭乗が始まった。後ろのドアから機内に入ると、機内には多くの乗客がおり、どうやらカップ・スリランから来たようだ。
なお、ジガンショールの危険レベルはダカールと同じ1であるが、カップ・スリランは3なので要注意だ。
ATR72-600はまだ新しく、シートピッチも十分あり、小型機にしては珍しくビジネスクラスがあった。
ところで、機内で発見したことがある。
それは、頭上の荷物入れだ。以前のATRの荷物入れは狭く、たとえ機内持ち込みが可能なサイズの鞄でも、棚の中には収容できなかった。
しかし、このATR72-600は小型のスーツケースが収容できるのだ。
つづく